小説家・額賀澪先生によるエッセイ連載『転職する気はないけど求人情報を見るのが好き』の第4回です!
2025年が幕を開けました。新年ということで、年賀状やメールなど、皆さんはどんな形で新年の挨拶をしましたか?手紙やメールの書き出しがなかなか決まらない...そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。
本年も、ぜひこのエッセイ連載を楽しんでいただけたら嬉しいです!
年の瀬より「あけましておめでとうございます」
このエッセイが公開されるのは2025年の1月だが、このエッセイを書いている私はまだ2024年の12月にいる。
〆切の関係でこうなってしまうのは仕方のないことなのだが、未来にいる読者に向かって文章を書いている感覚が強くなるので、年の瀬の慌ただしい時期に年明けのおめでたいお正月の雰囲気を想像しながらエッセイやコラムを執筆するのは結構好きだ。
そんな今回のテーマは、お正月らしく「仕事始めの挨拶」でいこうと思う。
年賀状を復活させたワケ
3年ほど前、年賀状を出すのをやめてしまった。
何かしらの信念を持ってやめたのではなく、シンプルに仕事が忙しくて年賀状の準備ができず、出しそびれてしまったのだ。
恐ろしいことに、一度何かをやらなくなると人間はどんどん怠惰になってしまう。その翌年も「忙しい」を理由に年賀状を出さなかった。事実、年末〆切の原稿と、年明け〆切の原稿が重なって年賀状どころではなかったのだ。
2年ほど年賀状を出せず、年賀ハガキの発行枚数も減り続けている昨今、このまま「年賀状じまい」をしてしまっても......と思ったりもした。
しかし「年賀状でしかやり取りのない人」というのもまた存在する。以前の会社に勤めていたときに懇意にしていた取引先、今はほとんど連絡を取っていない学生時代の友人など、きっと読者の皆さんにも、そんな人がいるはずだ。
年賀状をやめたらあの人との縁がなくなっちゃうんだなあ......と考え、今年のはじめ(読者の皆さんからすると、去年の1月になる)、せめて年始の挨拶メールをしっかり送ろうと思い立った。
「時候の挨拶」、逆に心がこもってない、かも......?
仕事始めの挨拶メールを書き始めてまずぶつかったのが、「時候の挨拶」だった。
季節にまつわる言葉を使って相手への気遣いや敬意を表現する時候の挨拶。就職活動をしていた頃はもちろん、会社員時代にも挨拶状やお礼状で散々書いた。
ネットで「時候の挨拶」と検索して、今の季節にふさわしい言葉を選ぶ。
4月なら、春の訪れの華やかさを盛り込んで「桜花の候、貴社ますますご発展のこととお慶び申し上げます」なんて書いてみたり。
8月なら、「残暑の候、平素は格別にご高配を賜りまして、厚く御礼申し上げます」なんて書いてみたり。
あとは用件を簡潔に書き、「これからもよろしく~」と丁寧に記して、それで終わればいい。
しかし、ここでつまずいてしまった。
年始の挨拶メールなのだから、「新春の候、よいお年をお迎えになったことと存じます」とか「謹んで新春のお慶びを申し上げます」なんて書き出しで始めて、「幸多き一年となりますよう心よりお祈り申し上げます」という結びで終わらせる。
何も変なところはないのだが、あまりに機械的な時候の挨拶を含めて構成された文面に、「逆に心がこもってないな」と思ってしまう。
一度そう思ってしまうと、もうその文章は絶対に心がこもっているように見えないのだ。
昔からそうだった。この手の文章を作るとき、決まって私に襲いかかる面倒な「こだわり」なのだ。
別に「いつもお世話に」なってないじゃん!
例えばメールの書き出しでよく使う「いつもお世話になっております。○○社の××です」という文章。
はじめて連絡する人や、たいしてお世話になっていない人へ使うと、「別にお世話になってないよね? 相手だって『別にお世話してないよ』って思わない?」と考えてしまう。
逆に日頃からとてもお世話になっている人へ使うと、「お世話になっているのは事実だけど、メールのたびに何度も何度も使ったら敬意や感謝の気持ちが薄れない?」と思ってしまう。
「いつもお世話になっております~」とメールを送り、相手から「いつもお世話になっております~」と返事がきて、こちらは再び「いつもお世話になっております~」と返信する。
もはや「お世話になっております」はただの飾りだ。「ジャージのままコンビニに行くのはちょっと恥ずかしいから」という理由で適当に羽織る上着みたいなものだ。
試しに某AIに「年始の挨拶メールを書いて。心がこもっている感じで」と命じたところ、こんな文章を作ってきた。
「新春の候、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。皆様にとって、今年が幸多き年となりますよう心からお祈り申し上げます。昨年中は、大変お世話になりました。皆様のおかげで、たくさんの成果を積み重ねることができました」
......うん、すごく機械的で、言葉を適当に並べた感じがヒシヒシと漂っている。
そうなると、一応は物書きとして生計を立てる人間なので、「言葉をそんな適当に扱っていいのか?」と思ってしまうのだ。「AIがいくらでもそれらしい文章を作ってくれる時代に、生身の物書きが機械的な文章を書いている場合かっ?」と。
そんな気持ちがむくむく湧いてしまって、あの手この手で「機械的でない挨拶メール」を書くことに奮闘してしまうのだった。
そうした奮闘ぶりが読む人にどれほど伝わるのか、たかが挨拶メールにそこまで気持ちを込める必要があるのか、なんて指摘はごもっともだし、私も確かにそう思う。
しかし、「職業・小説家」とプロフィールに書いている以上、新年早々にそこを妥協しちゃダメだよな、と思ってしまうのだ。文章に「見えない何か」を息するように込められるのが、生身の物書きならではの強みなのだから。
このエッセイを書き終えたら、2025年の年始の挨拶メールを書くことにしよう。
今後も月1回、更新予定です。次回の連載もお楽しみに!
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