お守りにしたい一冊「こまどりたちが歌うなら」著者寺地はるな先生インタビュー(前編)--ネガティブな感情も大切にする

連載・インタビュー

前職での人間関係や理不尽な扱いに疲れ果て、従兄弟の吉成伸吾が社長を務める大阪の小さな製菓会社「吉成製菓」へと転職してきた小松茉子。彼女を主人公に、そこで働く人々のさまざまな人間模様を描いた小説「こまどりたちが歌うなら」が2024年3月26日に刊行されました。

前時代的な就労規則や企業風土、パワーハラスメント、カスタマーハラスメントといった社会問題にも通ずる理不尽さに直面しながら、現代的な価値観で古い慣例と向き合っていこうとする主人公の姿は、社会人が共感するポイントの一つだと言えます。

今回は、その作者である作家の寺地はるな先生にインタビューを行い、本作品の誕生背景や、寺地先生自身の会社員時代のエピソードなどについてお聞きしました。

【著者プロフィール】寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。『大人は泣かないと思っていた』『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』『わたしたちに翼はいらない』など著書多数。

日本企業の大半は中小企業、そこで働く人々の実態を描きたかった

――「こまどりたちが歌うなら」は、大阪は河内の小さな製菓会社を舞台に、そこで働く人々の人間模様を描いた作品ですが、なぜ、「職場」をテーマとした作品を書こうと思ったのですか?

この小説の舞台である「小さな規模の会社」というのは、これまで自分の作品では扱ってこなかったので、今回書いてみようと思いました。

もう少し大きな規模の、「遊園地で働く人」や、逆にもっと小さな規模の「家族経営のワイナリー」を舞台にした作品を書いたことはあるのですが、従業員数30名程度の規模のいわゆる中小・零細企業の会社を舞台にした作品は私の著書の中にはなかったので、一回書いてみようかなと思ったことがまず一つです。

加えて、私自身が比較的小さな規模の会社や会計事務所で働いてきたこともあって、そうした規模感の会社の方が、働く人の実態やその中での人間模様を描きやすいと思ったことも大きいですね。

日本の企業の99%以上が中小企業だと言われているように、世の中には小さい規模の会社がたくさんあるので、そこで働く人々の実態を描き出す、というのはテーマとしてもおもしろいと思いました。

――作中の舞台である吉成製菓は和菓子を専門とする製菓会社ですが、なぜ、和菓子を扱おうと思ったのですか?

「こまどりたちが歌うなら」は集英社の文芸誌である「小説すばる」の連載からスタートした作品なので、季節感を出したいと思いました。和菓子は春の桜餅や夏の葛まんじゅう、秋の栗蒸し羊羹、冬の柚子餅など、四季折々を感じられる食べ物ですから、この物語にはぴったりと思い和菓子の会社にした経緯があります。

なお、本作品の連載開始が春で、本書の構成も「第一章 春の風」「第二章 香る雨」「第三章 夏の雪」といったように季語による章立てを行っており、それぞれの季節に応じた和菓子を食べながら一息ついたり会話を行ったりするシーンが出てくるのが作品の特徴にもなっています。

また、「仕事」「職場」を舞台とする小説ということで、パワハラや心労・過労をはじめとしたシリアスな問題にも触れざるを得ません。その中でお茶とともに和菓子を食べるシーンがあれば、どこか「ホッ」とした気持ちを抱かせてくれるんじゃないかと思ったことも和菓子の会社を舞台に選んだ理由の一つです。

――たしかに仕事の休憩時間や家族との団らん、または季節ごとの催事などで、和菓子は日本人の生活文化の一部にもなっていますね。

会社の同僚や友人に何かを相談するときや帰宅してからの家族との会話といった場面で、和菓子は場を和ませ人と人の距離を縮める存在にもなりえますし、それ自体が話題のとっかかりにもなる。そういった意味ではいい小物だと思いましたね。

また、和菓子には「いろいろな表情がある」という魅力もあります。誰かを訪ねる際のお使い物や挨拶にいく際の菓子折り、結婚式の引き出物、法事のお供えものなど、人生のいろいろな場面で傍らに寄り添ってくれる存在ということで、本作のような日常感あふれる物語ではいいアクセントを生み出してくれると思いました。

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職場での問題発生は避けられないもの。「歌」という言葉が結び付いた

――「こまどりたちが歌うなら」という愛らしくも印象的なタイトルは、どのようにして生まれたのですか?

こまどりは、「マザーグース」をはじめとした西欧の物語や詩によく出てくる生き物で、文芸の世界ではおなじみだったことで名前だけは知っていました。どちらかというと名前だけを先行して覚えていて、どういった鳥なのかはよく知りませんでした。

ですが、「こまどり」という名前は和菓子屋さんっぽいし、何よりも可愛らしいので、タイトルに盛り込みたいという思いがあって、仮で「こまどり」を冠したタイトルを考えていました。

それを出版社の編集さんに提案した際、「こまどりってとっても高い音色で愛らしく鳴く鳥なので、この物語にすごく合っていると思います」と共感してもらえたことで、このタイトルに決めた経緯があります。

――もう一つ印象的なのが「歌うなら」というフレーズですが、これについては?

「歌うなら」というタイトルはいろいろな案があった中で決まったものです。

たとえば「こまどりたちが歌うとき」だとミステリーっぽくなりますし、「こまどりたちが鳴くなら」だとシリアスな内容を連想させてしまう。じゃあ「こまどりたちが歌うなら」はどうだろうと考えたとき、次の行動につながっていくような展開や期待感を感じたことでこのタイトルに決定したのです。

作中では、登場人物たちがいろいろな問題に直面し、翻弄されていきますが、こうした「問題の発生」は働く限り避けられないものであり、それが私の中で「歌」という言葉になんとなく結びついていったのも、このタイトルに決めた理由の一つです。

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会社員時代に抱いていた不満や感情が、物語にも反映されている

――「こまどりたちが歌うなら」は、前時代的な就業規則や、パワハラ、過労・心労といった、仕事をしていく上で多くの人がぶつかるであろう問題がテーマになっていますが、これらは寺地先生の実体験からくるものなのですか?

そうですね。小説家になる前は会計事務所をはじめいくつかの職場で事務員として働いていたのですが、中には残業代が出ない職場もありました(苦笑)。

今の時代では労働基準法に抵触する可能性があり、ご法度(はっと)とされることですが、当時の自分はそういったことは世の中に当たり前にあるものだと思い込んでいて、是正に向けた働きかけみたいなことは考えませんでした。何よりも地方の小さな街の職場だったので、騒ぎを起こせば狭い地域だけに事が知れ渡ってしまうし、それによって雇用側との間に禍根が残り、職を失うかもしれない。そういったリスクが現実の問題を上回っていて、不満を感じながらも粛々と眼の前の仕事と向き合うしかありませんでした

そういった意味では、本作品の中で起こる種々の問題は私自身の実体験とつながっている部分はありますね。

――物語の中ではキャリアの長いベテラン営業によるパワハラ的な場面もありますが、そうしたものも含め、主人公茉子の心情は実は当時の寺地先生が感じていたことだったりしますか?

「江藤」というベテラン営業が登場しますが、私の会社員時代の上司のモデルかと言われれば、まったくそうではありません。

自分の会社員時代の苦い体験を、ありのまま小説に書くということはしませんが、そのときに感じた感情はしっかりと自分の内に残っていて、すこしかたちや場面を変えて小説内で表現する、といったことはあります。

ですので、茉子が抱いている不満や感情といったものは、当時のわたしが抱いていた不満や感情と共通する部分はありますね

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「過去が無駄だった」と受け入れるのは自然なこと

――寺地先生の仕事観についてお聞かせください。

私はもともと仕事大好き人間ではありません(笑)。
会社員時代は仕事に対しても過度な思い入れはありませんでしたし、仕事を通じて夢を描く、なんてこともありませんでした。

そんな温度感で臨んでいた仕事ですが、やりたい仕事ではなくても真面目に働くことはできると思っています。これは作中の「仕事が好きなわけではないが、がんばったらたいていのことはできる」という茉子の台詞でもありますが、私自身もそう思っています。

華々しい職業に就くとか、幼い頃からの夢を叶えることが人生の成功のように語られる風潮がありますが、自分がやりたかった職業でなくても働き続けている人はたくさんいますし、恥ずべきことでもなんでもない。仕事観とはなにか、と問われたらそんな回答になってしまいますね。

――もともと寺地先生は会社員として会計事務所で働いていましたが、なぜ会計事務所で働こうと思ったのですか?

たまたま地元で自分の希望する条件に近い募集があって、そこに応募したのです。その前は楽器の販売店で事務員をしていたのですが、給与面で不満があり、もう少し待遇のいい職場への転職を考えていたところ、その会計事務所の募集広告を見つけたのです。

会計事務所には7年間勤務し、仕事を通じて税務・会計に関するさまざまな専門知識を得ることができましたが、理不尽な扱いを受け続けてもいました。仕事を通じて得られるメリットを理不尽さが大きく上回り、疲弊していました。今になって思えば、なぜ、さっさと辞めずに意地を張って7年間も勤め続けていたんだろうと思うのと同時に、あそこで得たスキルはまったくの無駄だったと、というのが正直な気持ちです

――7年の間に培ったスキルや知識が無駄だったと。

どうにかして肯定的にとらえようとしても、やはり無駄だったと思います。
「苦労」をテーマとした物語って、「苦労した日々があって今がある」みたいなストーリー展開が多いと思うのですが、私はそういったものをあまりを肯定的にとらえることができません。なぜなら、「苦労したから今がある」と思い込むことで、人によっては自分の中で苦労した日々の帳尻を合わせようとするケースも考えられるからで、私自身はいつごろからか、そうした帳尻合わせみたいなことを考えなくなりました。

「無駄は無駄だった」と受け入れることは決してマイナスではありませんし、私の中ではむしろ自然なことであり、そこに綺麗なストーリーを絡める必要はないと思っています。

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この本が「お守り」のような存在になったら嬉しい

――この作品をどんな人たちに読んでもらいたいですか?

業種を問わず、「働いている人」に読んでもらいたいですね。

私自身が会社員として働いてきた中で「自分ってダメだな...」と思う瞬間がいくつもあって、そのたびに自信を失ったり、落ち込んだりしていました。

そんなときに、私を支えてくれたのが一冊の本であり、好きなフレーズを読み返すことで「もう少し頑張ってみよう」と自分を奮い立たせていました。その本は私にとってのお守り的な位置づけで、毎日持ち歩くほどの大事な存在でした。

――「その一冊」とはどんな本ですか?

姫野カオルコ先生の「受難」という作品です。
その中に「生まれつきネガティブな人間は、それを否定するのではなく、ネガティビティとリラックスして付き合うことが大事だとあなたは教えてくれた」という旨の台詞があるのですが、その一節にすごく励まされましたね。なぜかと言えば、それまではネガティブな姿勢や性格はすごく悪いことであって、変えていかなきゃいけないものだと思っていたからです。

しかしそのフレーズによって「ネガティビティと決別するのではなく、リラックスして付き合っていく」という視点や選択肢もあるのかとある種の驚きを感じ、それによって自分を否定しなくてもよくなりましたね。それで私にとってすごく大切な一冊となって、いつもカバンに入れて持ち歩いていました。

――「本が持つパワー」ですね。それによって何か具体的に行動が変わるようなことはありましたか?

「何かが劇的に変わった」という部分はありません。
しかし新たな視点や価値観に気づけたことで、同じことをやっていても、気の持ちよう一つでまったく見えてくる世界が違ってくることを学ぶことができました。

「こまどりたちが歌うなら」も、そういった本として愛してもらえたらうれしいですね。

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<インタビュー後編はこちら>

【書籍】「こまどちたちが歌うなら」
前職の人間関係や職場環境に疲れ果て退職した茉子は、親戚の伸吾が社長を務める小さな製菓会社「吉成製菓」に転職する。父の跡を継いで社長に就任した頼りない伸吾、誰よりも業務を知っているのに訳あってパートとして働く亀田さん。やたらと声が大きく態度も大きい江島さん、その部下でいつも怒られてばかりの正置さん、畑違いの有名企業から転職してきた千葉さん......。それぞれの人生を歩んできた面々と働き始めた茉子は、サービス残業や女性スタッフによるお茶くみなど、会社の中の「見えないルール」が見過ごせず、声をあげていくが――。一人一人違う"私たち"が関わり合い、働いて、生きていくことのかけがえのなさが胸に響く感動長編!

著者:寺地はるな
発売日:2024/03/26
定価:1,870円(税込)

「こまどちたちが歌うなら」特設サイト>
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