コロナ禍の中、芸術・エンタメはどうあるべき!?--松本幸四郎さんの歌舞伎「Zoom」配信から考える

コロナ禍の中、芸術・エンタメはどうあるべき!?--松本幸四郎さんの歌舞伎「Zoom」配信から考える

withコロナの「芸術の秋」

芸術の秋ですが、今年はwithコロナの社会環境のなかで過ごすことになりました。

すでに芸術・文化の様々な分野で、感染防止対策を講じながらのライブパフォーマンスが少しずつ再開しています。

新たな生活様式のもと、休日や秋の夜長くらいは、少しビジネスから離れ、withコロナなりの芸術の秋を楽しみたいと思っている方々もきっといらっしゃることでしょう。
そこで、今回のコラムでは、貴重なシーズンをより深く味わうためにも、改めて『芸術文化』と私たちの日常との関係について考えてみたいと思います。

そもそも『芸術文化』と言っても、伝統芸能、演劇、音楽、絵画、文学etc...分野は多岐に渡ります。また、芸術文化と娯楽(エンターテインメント)との違いも漠然としており、線引きができるものではありません。

実際、文化庁は『芸術文化』について、以下のように公表しています。

「音楽,演劇,舞踊,映画,アニメーション,マンガ等の芸術文化は,人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に,社会全体を活性化する上で大きな力となるものであり,その果たす役割は極めて重要です。

 文化庁では,我が国の芸術文化を振興するため,音楽,映画,舞踊等の舞台芸術創造活動への支援,若手をはじめとする芸術家の育成,子供の文化芸術体験の充実,地域の芸術文化活動への支援,文化庁メディア芸術祭の開催をはじめとした映画やアニメーション,マンガ等のメディア芸術の振興等に取り組んでいます。」

文化庁が示す芸術文化には映画、アニメーション、マンガなど、一般的には娯楽・エンタメと解釈されがちな分野も含まれているのです。

松本幸四郎さんが考える「芸術文化」とは?

先日、400年以上の歴史を持つ伝統芸能・歌舞伎の世界で活躍されている十代目・松本幸四郎さんを取材させていただきましたが、歌舞伎役者である幸四郎さんも次のように語っていました。

『歌舞伎は伝統芸能であり娯楽でもあります。文化というのは日常生活に存在するものだと思っています。これだけTVやネット、動画配信が日常生活に入りこんでいるなかで、歌舞伎もそのなかに存在し、配信の中に歌舞伎というジャンルがあってもよいと思います。400年以上の歴史のなかで、変わらないもの、変わっていくものを両立させていきたいです』。

((C)日本記者クラブ)

実際、幸四郎さんはコロナ禍で、テレビ会議アプリ「Zoom」生配信による図夢歌舞伎「忠臣蔵」を発案し、歌舞伎の映像表現の可能性を見出し、大きな反響に手応えを感じたそうです。

言い換えれば、400年以上の歴史を持つ伝統芸能も、エンタメ化する時代に入ったということなのでしょう。一方で、幸四郎さんは伝統を残し続けるために「変わらないもの」も、大切であると語っています。

『自分に合わせて好きな時間、好きな場所で観ることのできる映像と違って、舞台を観るためには、その時期、その時間、その場所に行かなければならない。だからこそ味わえる体感や楽しみ方もある』。

幸四郎さんは、変わるものと変わらないものは両立できるはずだとし、今後は従来の歌舞伎の舞台上演と並行して、図夢歌舞伎も一つの上演形態として続けていきたいと考えているそうです。

コロナ禍においては、「芸術文化は不要不急なのか?」という議論もありました。さらには「芸術文化の灯は消すべきでないが、娯楽・エンタメについては不要不急だ」という声が上がっていたのも事実です。

その答えは、その人自身が置かれている立場や主観によって左右されがちです。

そこで、古典研究を通して芸能と音楽研究を深めていらっしゃる古典講師の中西光雄先生に、古代から現代に至るまでの芸術文化と私たちの日常との関わりについてうかがい、考えてみたいと思います。

--------------------------------------------------------------------------

芸術文化とエンタメとの間に明確な違いはある?

――コロナ禍では、「芸術文化の灯は消すべきでないが、娯楽・エンタメについては不要不急だ」といった声も上がっていました。ですが、そもそも文化庁は、娯楽・エンタメの分野も含めて芸術文化と定義しています。一般的には、芸術文化は伝統芸能に代表されるように歴史が長く硬派である、エンタメは歴史が浅く軟派であるという漠然としたイメージがありますが、実際、芸術文化とエンタメとの間に明確な違いはあるのでしょうか?

「芸術文化」と「エンタメ」との間に明確な違いはないと思います。

ヨーロッパにおいては、絵画にしろ、音楽にしろ、演劇にしろ、舞踏にしろ、もともとはキリスト教や教会と結びついており、信仰の表現という側面が強いのです。また、パトロンとしての王侯貴族が必要でしたから、それらの人々が独占的な享受者でした。芸術がハイブロウなものだと思われている理由には、そうした歴史的な背景があります。
しかし、市民革命を経て(たとえ王政が残ったとしても)、市民が主権者となると、芸術の享受者は市民・大衆となります。それを「エンターテインメント(エンタメ)」と呼ぶのでしょう。この言葉には、その文化に対する上からの差別や庶民の自己卑下が含まれていますが、絵画・音楽・演劇・舞踏はもともと神授のものであることに変わりはありません。享受者がこれらの大衆芸術を支えるわけですから、商業主義の要素も加わりますし、人気のある者だけが生き残る弱肉強食の世界が出現するのは確かですが、それは社会の仕組みとして当然のことだったように思います。

市民社会が成熟し、都市に集まる労働者ほどエンターテインメントを求めました。ワイマール文化の成熟とそれに続くファシズムが一体化しているように見えるのは、どちらもすぐれて大衆運動だからに他なりません。

オペラやオペレッタが、アメリカ大陸に渡って大衆化したミュージカルとなりましたが、ミュージカルの滑稽さとシンプルな愛の告白の歌詞が、シェークスピアのソネットと同じ韻を踏んでいることが、芸術とエンターテインメントの歴史的で強い結びつきを証明しているようにも思います。

ひるがえって日本では、能・狂言・歌舞伎などの伝統芸能が、もともと庶民の生活から生まれて来たことに注目するべきでしょう。日本の歴史を見れば明らかなように、天皇が唯一の権力を掌握していたわけではなく、貴族を追い落とした武士階級が政治を司り、しかも彼らが芸能を愛好したことが、ヨーロッパとは異なる道筋を与えたと解釈することもできるでしょう。

世界一の識字率を誇った江戸の庶民と、建前では身分で差別されながら旺盛な活動で経済を支配していた商人たちの存在が、歌舞伎を芸術でありエンタメでもあるという特別な地位に引き上げたとも言えます。

むしろ明治時代以降に、西欧化と国民国家形成のために、芸術芸能のクラス分けが進んだように思います。日本人の心性の中には、古代から外来最新のものをよしとする「今来(いまき)」の思想が潜んでいますが、西洋文化を高級な「芸術」とし、同時に西洋文化の持つ文化の階級感覚を取り入れたのは、すぐれて近代以降の問題だと思われるのです。私たちは、庶民が育てた古典芸能を今日まで維持し、エンタメとして享受していることにもっと誇りを持つべきだと思います。

芸術文化において、変わらないものと変わっていくものは両立するのか?

――松本幸四郎さんが語っていらっしゃる通り、芸術文化において、変わらないものと変わっていくものは両立するのでしょうか?
また、今後、両立する世界で、私たちは芸術文化をどのように楽しみ、味わっていくことができるのでしょうか?

文化とは型であるといったのは政治学者・丸山真男でした。伝統芸能は「紋切り型」ともいわれますが、「クリシェ」というフランス語由来の文芸用語があるように、洋の東西を問わず、芸術には必ず型があります。型を受け継ぐのが伝統ともいえましょう。だから、芸術家は伝統の型の習得に励み、それを自家薬籠中のものとしたら、生涯に渡って型と創造の緊張感ある闘いをしてゆく存在なのだと思います。

とりわけオリジナリティが問われる現代においては、伝統の型を尊重しながら、それと闘う情熱を持ち、創造的に表現する者だけが、真の芸術家と呼ばれるのではないでしょうか。音楽は、レコードの登場によって複製芸術となり、最も早く大衆の中に浸透してゆきました。CDが生まれ、やがて配信が主流の世の中が到来しましたが、クラシック・ジャズ・ポップス・ワールドミュージックなど、ジャンルが細分化しても、またそれがクロスオーバーして、常にクリエイティブな芸術であり続けています。

そうしたなか、ライブミュージックへの渇望もあって、コンサートやライブも活況でしたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大のために現在は一時中断しています。最近では、ライブとストリーミング配信のハイブリット形式で、音楽を人々の間に送り届けようとするミュージシャンたちの活動も活発になってきています。そこには、芸術家としての愛と矜恃があるように思います。

一方、歌舞伎を含む演劇は、音楽とは異なり、観客が劇場に足を運び、演者と観客が時間と空間を共有しながら、その場限りの作品を作り上げてゆく。いくら映像記録が残されたとしても、ひとかたならぬ何か大切なものが消滅してしまうという芸術です。その意味で演劇は古代から現代まで変わっていないと言ってよいでしょう。

ですから、松本幸四郎さんが試みたZOOMによる歌舞伎配信は、とりわけチャレンジングなことだと思わずにいられません。

私は、大学時代の恩師から「演劇鑑賞は都市生活者の義務である」という言葉を教えられ、それをかろうじて守ってきましたが、還暦を超えた今、演劇によってどれほど人生が豊かになったか、また演劇が人生の苦難を乗り越える糧になってきたか、改めて思わざるをえません。しかしそれは同時に、演劇を見るには都市生活者が圧倒的に有利だということでもあります。巡業公演はあるにしろ、地方には常打ち小屋がなく、ふらっと歌舞伎を楽しむわけにはいかないのです。しかし、配信であれば、世界中のテレビやPCの中に、歌舞伎の常打ち小屋が存在することになるでしょう。それはまことにすばらしいことです。

IT技術の発展もあり、インタラクティブな空間が演出できれば、今までの映像記録では消えてきた演劇のリアリティが画面上に再現できるかもしれません。またさらに、新しいプラットフォームからインスピレーションを得て、新しいお芝居や演出が生まれるかもしれません。そんな無限の可能性を感じています。

神は細部に宿り給うと言います。歌舞伎の一つひとつの所作、見栄の伝統の型があり、何代にもわたる役者が、伝統に直面しながら自らの型を模索してきた歌舞伎です。
また、役者が持つ伝統改革への遺伝子も大切な細部です。そんな細部がひとつの作品となったとき、私たちは新しい歌舞伎を見ることができるのだと確信しています。

--------------------------------------------------------------------------

『エンターテインメントを含めた芸術文化は神授のものであり、神は細部に宿り給う』。
そのように考えたとき、演者と観客が時間と空間を共有しながら味わう芸術文化も、映像やITデジタルを活用した芸術文化も、共にこれからの私たちの日常と社会のなかで両立していくものなのだと思います。

そして、ビジネスパーソンの方々にこそ、芸術の秋を楽しんでいただきたいということで、11月15日(日)に企業活動の原点でもある東京証券取引所にて、JAZZライブイベントが開催されます。

((C)STOCK VOICE

次世代のJAZZシーンを彩るJAZZミュージシャンたちが集い、珠玉の音色と熱いメッセージを奏でる一大イベント『JAZZ EMP@Tokyo Financial Street2020』はオンライン配信での開催。

ネットを通じて全国各地からアクセス可能なライブ配信ですので、ご興味のある方にはぜひともおススメです。

古典講師プロフィール

中西光雄氏

古典講師。音楽研究にも精通。1960年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院博士前期課程修了。博士後期課程中退。(元河合塾専任講師)。
専門は日本文学・日本政治思想史。著書に『蛍の光と稲垣千頴』(ぎょうせい)、
共著に『唱歌の社会史』(メディアイランド)、『高校とってもやさしい古文』(旺文社)など。弟は歌手の中西圭三氏。

著者プロフィール

鈴木ともみ(すずきともみ)氏

経済キャスター、国士館大学政経学部兼任講師、早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員、ファイナンシャル・プランナー、日本記者クラブ会員記者。
埼玉大学大学院人文社会科学研究科経済経営専攻博士前期課程を修了し、経済学修士を取得。地上波初の株式市況中継TV番組『東京マーケットワイド』や『Tokyo Financial Street』(ストックボイスTV)にてキャスターを務める他、TOKYO-FM、ラジオNIKKEI等にも出演。国内外の政治家、企業経営者、ハリウッドスター等へのインタビュー多数。
『国際金融×Jazz』『日本経済×古典』をテーマに、『金融・経済×アート』を表現するストーリーテラー、ポエトリーリーディングで活動中。
主な著書『資産寿命を延ばす逆算力~今からでも間に合う! 人生100年時代を生きるための資産形成~』(シャスタインターナショナル刊)、『デフレ脳からインフレ脳へ』(集英社刊)。

この記事をシェアしよう!