ビジネスに役立つ古典 第5回「好景気の呼称になぜ日本神話を引用するのか?」

ビジネスに役立つ古典 第5回「好景気の呼称になぜ日本神話を引用するのか?」

『いざなぎ景気』『いざなみ景気』の呼称は、『古事記』『日本書紀』から引用

内閣府は7月30日、2012年12月から始まった景気の拡大局面が2018年10月をピークに終了し、景気の拡大期間は戦後最長だった『いざなみ景気』(2002年2月~2008年2月)の73カ月に届かず、71カ月に留まったと認定しました。

戦後最長の『いざなみ景気』は、それ以前に、戦後最長とされていた『いざなぎ景気』(1965年11月~1970年7月)の57カ月を超えたことによって認定されています。この「いざなぎ」や「いざなみ」という呼称は、読者の皆さんにとってあまり耳馴染みがないかもしれませんが、実は、日本最古の書物である『古事記』『日本書紀』から引用されています。

『神武景気』『岩戸景気』の呼称も『古事記』『日本書紀』から引用

「いざなぎ」と「いざなみ」は『古事記』『日本書紀』に登場する神様の名前です。『古事記』は和銅5年・712年にまとめられた日本最古の歴史書。序文、上巻、中巻、下巻から構成されており、世界のはじまりから国(島々)や神様の出現、皇位の継承に至るまで、日本の誕生物語が記されています。

また、同時期には養老4年・720年にまとめられた『日本書紀』があります。

そして、『古事記』と『日本書紀』では神話の扱い方もかなり異なっているのです。とは言え、書物に登場する「いざなぎの神」や「いざなみの神」などの名称は共通しています。さらに、日本の好景気を示す呼称には『いざなぎ景気』『いざなみ景気』だけでなく『神武景気』『岩戸景気』など、他にも『古事記』『日本書紀』から引用されている呼称がある点も興味深いところです。

『古事記』『日本書紀』から呼称を引用された日本の好景気の順番に意味

改めて『古事記』『日本書紀』から引用された日本の好景気(引用されていない好景気は除く)を時系列に整理すると、

・神武景気(1954年12月~1957年6月の31カ月間)

・岩戸景気(1958年7月~1961年12月の42カ月間)

・いざなぎ景気(1965年11月~1970年7月の57カ月間)

・いざなみ景気(2002年2月~2008年2月の73カ月間)

となります。

実は、この順番には意味があります。

戦後における最初の好景気となった『神武景気』(1954年12月~1957年6月)

この好景気が「神武」と名付けられた背景には、1956年度版の『経済白書』で「もはや戦後ではない」と記され、経済誌に「神武天皇以来の好景気到来」という一節が広まったことにありました。その後、1957年度版の『経済白書』にて「神武以来の景気」と記され、続く1958年度版の『経済白書』にて『神武景気』と正式に記録され、世の中に知れ渡るようになりました。

ここから日本神話を起源とする好景気の呼称が示されるようになります。

次の『岩戸景気』(1958年7月~1961年12月)は、『神武景気』を上回るという意味で、日本神話に登場する神武天皇の物語を遡った「天の岩戸隠れ」から引用され、『いざなぎ景気』や『いざなみ景気』は、『岩戸景気』をさらに上回るという意味から、さらに遡る物語からその呼称が引用されました。

このように日本神話と好景気の呼称の間には、親和性や相関性が存在し、しっかり根付いていると言えそうです。

そこで、古典講師歴37年。『日本書紀』を専門に研究し、大学受験生を始め、若い世代に向けてわかりやすい古典解説と、古典作品の魅力を伝え続けている中西光雄先生と共に、「日本神話と好景気の呼称」の関係性について探ってみたいと思います。

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なぜ、日本では神話の存在がここまで認知されている?

――『いざなぎ』や『いざなみ』は、『古事記』『日本書紀』の日本神話に登場する神様の名前です。日本では日本神話から名前が引用された好景気の呼称がいくつも存在します。それは神話を史実の一つとして捉え、現実社会の記録に符合させている証と言えるのかもしれません。なぜ、日本では神話の存在がここまで認知され、長きに渡り社会や経済活動に根付いてきたのでしょうか?

日本と同様に西欧にも神話があります。西欧では、19世紀末、グリムの著した『ドイツ神話』からインスピレーションを得たリヒャルト・ワーグナーが『ニーベルングの指輪』四部作を完成させました。

20世紀になると、神話は、例えば心理学者カール・ユングや文化人類学者クロード・レヴィ・ストロースのように、人間の心理の投影と考えられるようになりました。

心理学や文化人類学は20世紀の人文科学研究の花形でしたから、しばしば研究の俎上にのるさまざまな神話が、知識人たちの注目を浴びた時代であったともいえます。このように神話は、海外でもシンボルであり思想の祖型であり、より直接的には祖先崇拝に繫がっていました。

 ひるがえって、日本では、神話は歴史書の冒頭におかれ、神々から天皇の御代までの連綿とした歴史の中で語られています。しかし、正史(六国史)である『日本書紀』と『古事記』では、神話の扱い方がかなり異なっています。

『日本書紀』神代巻では、神話の場面ごとに、テキストが示されたあとに、さまざまな氏族の資料が「一書に曰く」というかたちで列挙されているのです。いわば、歴史研究であり、歴史叙述として正確が期されているわけです。ここには、神話を直ちに歴史事実と認める姿勢はありません。

一方、『古事記』は、天地開闢の神話から歴史的な時代までがなめらかに接続されていて、神話は物語の重要なモチーフとなっています。

改めて日本の歴史を振り返ると、宗教として仏教が優勢だった時代があり、神仏習合の時代もありました。また神の物語が強く歴史の全面に押し出された時代もあります。

『古事記』は、中世には禁書でしたが、江戸時代になって少しずつ研究が進み、幕末期の国学者・本居宣長が『古事記伝』を書いてから再び脚光を浴びるようになります。そして本格的に読まれるようになったのは、明治維新以後だと考えた方がよいでしょう。

ですから、日本の神話は古代のものであると同時に、近代のものでもあるのです。
近代になって、学校で教えられることにより、すべての国民が知り、国民国家の物語になりました。そうしたなかで、『神武景気』『岩戸景気』ののち、天地開闢の神の名『いざなぎ』『いざなみ』が、好調な景気を示す呼称として用いられたのだと思います。また予想外の景気上昇の要因として、そこに「神」の意思、畏れ多い「神」の力を見る日本人独特の信仰心が働いたということも考えられます。「開闢以来」という表現を歴史の中でたどったら、「国生み」神話まで遡ってしまったといえましょう。

日本神話が伝えているメッセージとは?

――『古事記』『日本書紀』には五穀豊穣を祈る場面も登場します。現在も東京券取引所に上場する企業は、今後の繁栄を意味する『五穀豊穣』を願って東証の鐘を5回鳴らす儀礼が存在します。今も昔も変わらぬ収穫への祈り、そして人の営みや経済活動において繁栄を願う精神は、この国と人々に宿り続けています。五穀豊穣を始め、今の時代にも伝わる日本神話の教示には、どのようなものがあるのでしょうか?

「五穀」とは人が常食する五種の穀物「米・麦・粟・豆・(または稗)」などのことです。これらは、人間が丹精こめて田や畑の世話をして生産した農作物です。天皇陛下が、皇居内にある水田で、春にはご自身で種籾まきをした苗を植え、秋には実った稲を刈り取るという生産儀礼を行っていることをご存じの方も多いことでしょう。一年の実りを天皇ご自身が神に供え、五穀豊穣に感謝する儀式を「新嘗祭(にいなめさい)」と言います。今日では「勤労感謝の日」とされていますが、本来は収穫に感謝する祭であり、天皇の代替わりのときに一度だけ行われる「大嘗祭(だいじょうさい)」は、「新嘗祭」をより拡大して行われる儀式です。平安時代から大嘗祭は極めて大きな儀式で、京に住む人だけでなく近郷近在の人までも集めて盛大に行われたことが知られていますが、これはいわば神話を演劇的に表現したものでした。

日本の八百万の神は、唯一の絶対者ではなく、常に人のとなりにいて、人を助ける存在です。人が熱心に丹精込めて五穀を育てるから、神が豊かな収穫を与えてくれるのです。人間が努力を怠り、手を抜けば、神は収穫を少なくするばかりか、人を罰することさえある。共にいる神は、交渉可能な等身大の神でもありました。そして常に神と共にあるという緊張感が、生活と労働、いわば生活経済にめりとはりとをもたらすのです。

神とともに食べ、神とともに遊ぶ。農耕生活は、だから、神の時間を生きることでもあったのです。戦後の急速な工業化と都市への集中は、村落に残るこのような神話の時間を壊してしまいましたが、人間の欲望の暴走の怖さを知っている私たちは、神とともにあることを願い、また神への畏れを忘れないためにも、自分たちの暮らし、生活とともにある景気の名称に、神の名前を冠したのではないでしょうか。

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中西先生の解説にある古代から『私たちの生活は神の時間を生きることにあった』ことが、生活とともにある景気の名称に日本神話に登場する神の名を引用するに至った所以があると言えるのかもしれません。

そして、この日本神話をモチーフに八百万の神々と天の岩戸開き、五穀が誕生するまでの物語をビジュアル絵巻として表現した総合芸術舞台『一粒萬倍 A SEED ~天の岩戸開き~』が11月2日(月)3日(祝) 、観世能楽堂(GINZA SIX地下3階)にて上演されます。能・狂言・日本舞踊・現代舞踊・花が一つにつながり、和楽器と西洋楽器のライブ演奏が繰り広げられる圧巻の上演は、3年前、米ロサンゼルス公演でも絶賛されました。今回は世界的に活躍するフラワーアーティスト、ダニエル・オスト氏の作品をクライマックスに迎え、新しい舞踊チームとさらに現代と神話の世界が交叉するスケールアップした内容で、今の時代の暗雲を吹き払う!特別上演となります。日本神話と現代社会との関係性に興味を持たれた方には、ぜひともおススメです。

古典講師プロフィール

中西光雄氏

古典講師。音楽研究にも精通。1960年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院博士前期課程修了。博士後期課程中退。(元河合塾専任講師)。
専門は日本文学・日本政治思想史。著書に『蛍の光と稲垣千頴』(ぎょうせい)、
共著に『唱歌の社会史』(メディアイランド)、『高校とってもやさしい古文』(旺文社)など。弟は歌手の中西圭三氏。

著者プロフィール

鈴木ともみ(すずきともみ)氏

経済キャスター、国士館大学政経学部兼任講師、早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員、ファイナンシャル・プランナー、日本記者クラブ会員記者。
埼玉大学大学院人文社会科学研究科経済経営専攻博士前期課程を修了し、経済学修士を取得。地上波初の株式市況中継TV番組『東京マーケットワイド』や『Tokyo Financial Street』(ストックボイスTV)にてキャスターを務める他、TOKYO-FM、ラジオNIKKEI等にも出演。国内外の政治家、企業経営者、ハリウッドスター等へのインタビュー多数。
『国際金融×Jazz』『日本経済×古典』をテーマに、『金融・経済×アート』を表現するストーリーテラー、ポエトリーリーディングで活動中。
主な著書『資産寿命を延ばす逆算力~今からでも間に合う! 人生100年時代を生きるための資産形成~』(シャスタインターナショナル刊)、『デフレ脳からインフレ脳へ』(集英社刊)。