日本人が世界に先駆けて「クイーン」と<br>「フレディ・マーキュリー」を見出したワケ

日本人が世界に先駆けて「クイーン」と<br>「フレディ・マーキュリー」を見出したワケ

まだデビューアルバムリリースから2年目の英国の新人バンドを、1000人超のファンが羽田空港で出迎え

2019年2月に発表された「第91回アカデミー賞」において最多となる4冠(主演男優賞、音響編集賞、録音賞、編集賞)を受賞した映画『ボヘミアン・ラプソディ』のDVDが今も人気を集めているようです。この映画は、特に日本で大ヒットし、昨年の国内映画興収ランキングではNo.1に輝き、クイーンの母国であるイギリスを遥かに凌ぐ記録を打ち出しました。

第二新卒世代の読者の皆さんのなかには、この映画によってクイーンの存在を知ったという方もいらっしゃるかもしれません。クイーンはイギリス・ロンドン出身の男性4人組(フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー)のロックバンドです。アメリカ、イギリス、日本を中心に、世界中で最も成功したバンドの一つであると言えます。実際、ウォール・ストリート・ジャーナルが発表した「史上最も人気のある100のロックバンド」では、第3位にランクインしています。

そのクイーンは、ボーカルのフレディ・マーキュリー存命時に、計6回の来日を果たし、その6回のジャパン・ツアーでは、全50回のコンサートが行われました。1975年4月に初来日したクイーンは、3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」を発表し、「キラー・クイーン」がヒットして世界的にも人気が上昇し始めた頃でした。とは言え、まだデビューアルバムリリースから2年目の新人バンドだったのです。1974年から75年にかけて、初のアメリカツアーに挑みましたが、それはあくまでも他のアーティストの前座としてのツアーでした。

そんな彼らを日本では1000人超のファンが羽田空港で出迎えたのです。と言うのも、当時、日本では、人気音楽誌「ミュージック・ライフ」がクイーンを紹介したことにより、彼らのルックスの良さや煌びやかなパフォーマンスに多くの女性ファンが魅了されていました。数多くのマスコミが集まる来日記者会見も開かれ、母国のイギリス以上のトップ・スター扱いに、クイーンのメンバーはとても感激し、日本のファンに対する感謝の思いが強まったことにより、その後の日本とクイーンとの親密な関係が築かれていきます。

クイーンがラッキーだったのは、まず日本で売れて活動資金を得ることができた事

当時の様子について、現在ニューヨークに在住し、マーケットアナリストとして活躍する傍ら、自身もベーシストとしてニューヨークを中心に音楽活動を続けている松本英毅氏にうかがいました。松本氏は音楽活動を始めた学生時代に、リアルタイムでクイーンブームを体験されています。

「クイーンが来日した時には、まだワールドツアーを敢行できるほどのトップミュージシャンではありませんでした。ですが、日本では本人たちも驚くほどにクイーンブームがわき起こっていて、かつてビートルズが公演した日本武道館での公演を始め、全ての公演が大盛況となりました。そのようななかで、日本で自信をつけた彼らは、アメリカツアーに打って出るのです。

やはり、ミュージシャン、アーティストとして成功をおさめるためには全米でヒットすることが条件となります。但し、全米ツアーを敢行するためには資金が必要です。あの広いアメリカを周り、自分たちの認知を高めて、レコードを売っていくためには、しっかりとしたマネジメントと大規模なプロモーションが必要となります。それを実行するためにはお金がいる。普通のバンドは資金がもたなくて、世に出ることがないまま潰れてしまうのです。

ですが、クイーンがラッキーだったのは、まず日本で売れて、日本に呼ばれたことにより、日本で活動資金を得ることができ、そこからアメリカを始めとするワールドワイドなツアー展開をすることができました。もし、日本で資金を得ることができなかったらアメリカツアーは敢行できなかったかもしれません。もっと言えばその後のアルバムもリリースできなかった可能性もあります」。

来日公演で資金を得たクイーン、「ボヘミアン・ラプソディ」で全英9週連続1位

来日公演を終えて資金を得たクイーンは、1975年10月に、4枚目のアルバム「オペラ座の夜」からの先行シングル「ボヘミアン・ラプソディ」をリリースし、全英9週連続1位の大ヒットを記録します。アルバム「オペラ座の夜」も初の全英1位を獲得し、クイーンに批判的だったメディアを含め、高い評価を得るようになっていきました。

その後、クイーンは1976年に、アメリカやオーストラリアなどで次々とツアーを敢行します。そして、まさに名実ともにトップスターとなったクイーンは、同じ年に、2度目のジャパンツアーで来日を果たしました。2回目のツアーは18日間、6都市11公演、大阪や福岡では昼夜2回公演という強行スケジュールのなか、日本の多くのファンを熱狂させました。

こうして当時を振り返ると、クイーンが世界のトップスターの座につけたのは、日本のファンの力も大きく影響したようにも感じます。その点について、松本氏にうかがいました。

クイーンのスター街道を辿ると、日本人の先見性、見出す力が大きく影響

「実は、日本にいる古くからの熱烈なクイーンファンからは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、日本のファンがクイーンを世界のスターに押し上げた事実やエピソードがカットされてるのでは...と、不満の声を上げている人もいるようなのです(笑)。もともと、クイーンに実力があったからこそ成功したことは確かなのですが、日本のファンがその才能と実力に真っ先に気づき、日本から人気に火がついたこと、日本人のファンには先見性があったことを描いてくれていたら、なお楽しめる映画になっていたと(笑)」。

確かに、こうしてクイーンのスター街道を辿ると、日本人の先見性、見出す力が大きく影響していたように感じます。であるならば、海外の逸材の発掘だけでなく、日本国内に存在する逸材を世界に送り出すことも、本来、日本人が得意とすることなのではないでしょうか。その点についても、松本氏にうかがいました。

日本人は、自分たちの外にある人物や物事を称賛するのは得意だが...

「私はニューヨークに住み、日本を始め、様々な国を訪れることが多いですが、日本の場合は、自分たちの外にある人物や物事を称賛するのは得意でも、自分たち自身を宣伝することは不得意であると感じます。他を応援するのは積極的であるのに、自らを売り込むのは苦手。もちろんそこが日本特有の奥ゆかしさという美徳でもあるのですが、国際社会、国際舞台で勝負するためには、美徳だけでは通用しません。もともと、世界のなかでも資金力はあるのですから、それを活かせる場を作ることができるのは大きな強みです。資金や資力を上手に循環させることができれば、日本や日本人が持つ先見性を活かして、様々な分野で成功を遂げる途が拓けてくるのではないでしょうか」。

こうして「クイーンと日本」との関係性を鑑みると、私たち日本人の持つ先見性の活かし方を改めて考え直すことができるようにも思います。

プロフィール

鈴木ともみ

経済キャスター・MC。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所 招聘研究員。
ファイナンシャル・プランナー、日本記者クラブ会員記者、多様性キャリア研究所副所長
和洋サウンドシアターユニット『未来香音』(津軽三味線・清水まなみ、ピアノ・斎藤タカヤ、パーカッション・宮本仁、語り部・平山八重、ストーリーテラー・鈴木ともみ)として、ラジオやライブで活動中。
ラジオドラマにおけるデビュー作が「日本民間放送連盟賞」エンターテインメント部門出品作品となる。
来日する各国大統領や首相、閣僚、ハリウッドスター等を含む取材・インタビューは3000人を超える。
キャスターとしてTV、ラジオ、各種シンポジウムへの出演の他、雑誌やニュースサイトにてコラムを連載中。
主な著書『デフレ脳からインフレ脳へ』(集英社刊)。

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