私がアパレル業界から転職したワケ(前編)

連載・インタビュー

アパレル業界から企画や営業、マーケティング職への転職に成功している人が増えているようです。某ファストファッションブランドから情報誌の商品企画担当に転身した加藤まゆみさん(仮名/29歳)もその一人。「私がアパレル業界から転職したワケ」前編では、アパレル業界を辞めた経緯について、詳しくお伺いした内容をご紹介します。

「あるとより豊かなもの」が好きでアパレル業界に

リーマンショック後の氷河期に就職活動をし、新卒でアパレル業界に入りました。「人の生活になくてはならないもの」よりも「あるとより豊かになるもの」に携わりたいと考え、アパレルだけでなく、食品や酒類、ブライダルといった業界も視野に就職活動を行いました。ブライダル企業からも内定をいただきましたが、より興味が強かったファストファッションブランドに入社しました。

覚悟はしていたつもりでしたが、やはりアパレル職は激務でした。都内の店舗で半年間だけ実務研修を受け、すぐに東海地方の新規店の副店長として店の運営実務を任されました。接客よりはアルバイト採用にコスト管理、シフト調整といったマネージメントの仕事がメインでした。やりがいはありましたが、体力的にも精神的にも相当ハード。任せられている仕事が多く、シフトに関わらず夜遅くまで店にいるのがふつうでした。私自身が人件費を管理していたこともあり、人件費が圧迫している中、自分に残業代をつけることはできず、毎日のようにサービス残業をしていました。サービス残業の仕方ですが、一旦店舗のPCの電源を落として、倉庫で作業する、といったものなどでした。

ただしこれはあくまでも私が勤務していた10年ほど前の話。最近は働き方改革やワークライフバランスといった考え方が浸透し、ずいぶん働きやすくなったと聞いています。

少し話はそれますが、アパレル業界ならではの"常識"にも驚くことが多かったですね。店舗で着る服は自社ブランドの服しか着られません。社員割引もありましたが、自分が購入した服が欠品になると、お客様の手前、その服は店では着ないように言われました。洋服が好きでアパレルの世界に入ったのに、自由に服が着られないのは残念でした。

また、店舗勤務ですので、自由にトイレに行けない、みんなでお昼に行けない、など、今では当たり前のこともできないのは大変ストレスが溜まりました。今の仕事で、自由に好きな服が着られる、自由にトイレに行ける、みんなでお昼に行ける、これだけでも幸せを感じます(苦笑)

将来を考え、入社翌年に退職

結局、憧れて入社したファストファッションの会社でしたが、入社半年後には転職を考えるようになってしまいました。大学で学んだ経営学を活かして、将来的には本社でディスプレイによるマーケティングを手掛けるVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)やマネキンに着せる服のコーディネートをする仕事に就きたいと考えていましたし、販促物をつかった広告戦略にも興味がありました。ところが実際に働き始めてみると、目指すべきロールモデルがなく、本社勤務への道筋が見えてこない。将来の結婚や出産を考えたときに、転勤があり、休みも不定期な職場で働き続けることは無理だと考えたのです。

性格的にも社風に合いませんでした。上司が来たときにうまくアピールするとか、自分を強く前面に押し出せるタイプの人間が出世していくような会社でした。それに対し私はバックにいて誰かを支えたり、チームみんなで成果を上げていきたいと考えたりするタイプ。そういう意味でも前の会社では自分に"将来性"を感じることができなかったのです。

「このままではいけない」と考え、結局入社1年余りで退社しました。そのときは俯瞰的に自分のキャリアについて考えられませんでしたが、いま思えば悪いことばかりではありませんでした。短い期間とはいえアパレル業界で懸命に働いた経験は大きかったですね。社会人1年目ながら店のマネージメントに携われたこと、接客経験、パート・アルバイトスタッフの人事管理、そしてストレス耐性......。こうしたものが転職先で思わぬ武器となっていくことになるのです。

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